我が国における orthodontics の翻訳: 矯正 齒科 學 の歴史
正則英語と変則英語
明治期には,英語を漢文のように返り点などを使って読み下していく 「変則英語」 と,会話と直接読解を中心とする 「正則英語」 の二種類の教育法がありました.漱石は教師になって以降も,一貫して正則英語の支持者だったので,現代の英語教育者と変わらない感覚を持っていました.
歯科医学用語としての「矯正」;
「矯正歯科」という語の翻訳過程もこれと似たような経過があります.古くは後漢後期の超絶書に,曲がったものを正そうとして力を入れすぎて逆の方向に曲がってしまう「矯枉過正」という語が記載されています.デジタル時代,「やりすぎ」という意味であることはすぐにわかります.中庸第十章にも「矯」は何度も出てくる語で,孔子は矯の意味を答えています.
子路問強。
子曰。
南方之強與。北方之強與。抑而強與。
ェ柔以ヘ。不報無道。南方之強也。君子居之。
衽金革。死而不厭。北方之強也。而強者居之。
故君子和而不流。強哉矯。
中立而不倚。強哉矯。
國有道不變塞焉。強哉矯。
國無道至死不變。強哉矯。
子路が「強」について孔子に問うた
孔子はおっしゃった
南方の強さのことか,北方の強さのことか,お前自身の強さのことかと.
寛容で柔和な態度を崩さず道理を教え,無道な暴力に報復せずに耐えるのは,南方の人たちの強さである.これは君子がいる境地である.
金革の鎧を寝具とし,死ぬことも厭わずに敵と戦うのは,北方の人たちの強さである.これは武人の強者がいる境地である.
君子は人と調和しても流されてしまうことはない,これが矯とした真の強さである。
中立してどちらにも極端に偏らない、これが矯とした真の強さである。
国家に道が行われていても自分の昔の信念を変えない、これが矯とした真の強さである。
国家に道が行われずに乱れていても,自分自身は善を行うための道を死ぬまで変えない,これが矯とした真の強さである.
江戸期の漢学者たちは,儒学の概念として論語や儒教四書から「矯」の概念を深く学び実践していました.明治2年(1869)の法令全書の中にも 「矯正セシム」 という語がみられ,当時の体操伝習所における教本には,「身体姿勢ノ不正ナルヲ矯正シ以テ美容好姿ナス」 ことを身體美容術,あるいは身体矯正術と記されている.
日本で最初に,歯の移動を 「矯正スル」 と翻訳したのは小林義直である.「新編 歯科医学概論 歯科医学とは何か その歴史と哲学(昭和50年)」の220項に,「歯科矯正学という用語は明治32(1899)年に,青山松次郎が歯科矯正学を高山歯科医学院講義録の中に書いたのが最初である.」という一文があり,これを引用して青山松次郎を歯科矯正の翻訳者とする論文がいくつかみられる.この正木氏の著書は,日本歯科評論(1965年12月号)に連載された「歯科医学概論序説」をまとめた書籍と考えられるが,この連載された雑誌の文章中には,青山松次郎の一文はなく,書籍の段階で加筆されていた.
小林義直は独逸語のパライト氏の成書を翻訳し「歯科提要」として刊行しました.この本は,当時たいへん好評でよく売れたそうです.この中では,「歯列矯正術」として翻訳されています.歴史的に,歯科矯正はドイツ語の翻訳から来ました.
当時を考証した「幕末維新期漢学塾の研究(生馬)」によると,「一度漢学を学んだ学生が外国語を学ぶと発音は悪かったが読書力に至っては,はるかに正則生(外国人から英語を学ぶ)に優っていた」とされています.福山藩にて江木齶水から漢学を学んだ小林義直は,明治期の翻訳プロジェクトにおいて非常に多くの医学書を翻訳しています.史実によると,1855(安政2)年の福山誠之館発会式のおりに,江木齶水は論語を講じており,こうした漢学の素養から「矯正」という語をあてたのではないかと推測します.中国ではorthodonticsは「口腔正畸学」と翻訳されています.
高野直秀氏の翻訳した『歯科外科医Chirurgien Dentist(1728)』にも矯正という語が出てきます.しかし,原文ではdérangement des dents歯の乱れ,mal arranges 位置異常,les dresser正す,といったフランス語で記述されており,Orthodontiaの用語はまだ用いられていません.また,高山紀斎氏の『鹺てつ(歯失)論』においても,矯正という語は用いられておらず,irregularityを鹺てつ(歯失)と翻訳したことが講義録に記載されています.
以上についてまとめると,「矯正セシム」や「補綴セル」という日本語は,漢学に由来した言葉であり,日本国にイーストレーキ先生が西洋歯科醫術を伝えた遥か以前,中国大陸における後漢初期(西暦25年〜250)に書かれた春秋戦国時代の吾と越に関する書物
『越絶書』 の「越絶篇叙外伝記」にまで遡ることができます.
その中の「矯枉過正(きょうおうかせい)」は,物事を正そうとして、やりすぎてしまえば、新しい偏向や損害を招くということ.曲がっているものをまっすぐにしようとして、力を入れすぎて、逆の方向に曲がってしまうという意味から,「枉れるを矯めて直きに過ぐ」とも読み,江戸時代の漢学者たちの素養の中にあった語でした.明治における文部省の「百科全書翻訳プロジェクト」の一環として,福山藩の小林義直の翻訳過程において選択された翻訳語であったと考えるべきでしょう.漢学を学んだ日本では一般的に用いられていた言葉でした.
現代の歯科医師は,「矯正治療」というと歯列矯正を意味すると勘違いしている場合が多々ありますが,世間で「矯正」と言えば,発音を矯正する,あるいは,「骨盤矯正」,「姿勢矯正」,「小顔矯正」 といった用語を市中の看板や広告で目にします.また,外見を美しくする美容用語として 「身体矯正法」 も古くから用いられていました.あるいは,「矯正施設」や「非行を矯正スル」といった用例,「視力矯正」など,著者の渉猟した限りでは,明治2年の法令全書に「弊風を矯正セシム」,1882年には「身体矯正法」という書物が全国に配布され,いわゆるラジオ体操の全国普及も始まっていました.
小林は,福山藩にて江木齶水に漢学を学んでいる.史実によると,1855(安政2)年の福山誠之館発会式のおりにも,江木齶水は論語を講じ,当時を考証した生馬による「幕末維新期漢学塾の研究」によると,「一度漢学を学んだ学生が外国語を学ぶと発音は悪かったが読書力に至っては,はるかに正則生に優っていたのであった」とされ,小林は,漢学の一つとして中庸学び,「矯」の字を当てたのではないかとの思いを馳せた.ところが,「矯正」なる用語は,と思いをはせる.
正則:外国人から英語を学ぶ
変則:発音や文法は関係なく,意味を理解する
幕末維新期漢学塾の研究 2003/2/25 生馬寛信 (編集)
小林義直によってorthodontics
が 「歯列矯正術」 と翻訳されたのは1889年ですから新しく作られた翻訳語というより,選択され適用された語と考えます.
小林義直は,明治期における文部省国家プロジェクトとして,『百科全書』
など多くの理系の物理,医学関連の書籍を翻訳しました.晩年,脳症に病み,病床において独逸語の翻訳に取り組んだものが,パライト氏の成書であったが,漢学の素養のあった小林によって「歯科提要」のなかで「歯列矯正術」として日本語に初めて翻訳されたものである.第二版の緒言には,出版後は好評で大いに売れたことが記載されている.すなわち翻訳者によって新たに創られた言葉ではなく,選択され適用された言葉であったと結論される.しかるに,この言葉を使ったことで,100年以上にわたって学術用語として残り,現在に至っているものである.
時代は変わり,歯列矯正術は部分矯正ともいうべきものとなり,歯列も含めた顎顔面矯正が求められている.
『康煕字典』より
鹺てつ(齒に失と書く)
矯正齒科學史
― 古代ギリシャ・ローマ時代
当時の書物は,パピルスや羊皮紙に記録されたもので,複製するには書き写しするしかありませんでした.複製を多く作る場合は,誰か一人が書を読み,複数人がそれを聞きながら書くという手法のため,書き間違いが起こります.こうした時代に新しい知識や発見・思想を,異なる遠い地域に広く啓蒙し伝えるということには,大変な年月を要しました.このケルススの書も1478年(グーテンベルグによる活版印刷技術の発明後)になって初めて印刷されました.今日ではこうした「古書」のデジタル化により,いつでも誰でも自宅で読むことができます.本文にハイパーリンクリンク処理をしていますので,ぜひご覧ください.
― 中世から近世のヨーロッパにおける Orthopedia(cs) / Orthodontia /
齒科矯正學
活版印刷技術は,情報伝達のスピードを速め,科学革命に貢献しました.16世紀以降のヨーロッパでは,医学・歯科学に関する多くの書籍が出版されてゆきます.フランスのPierre Fauchard,イギリスのJohn Hunter,ドイツのPhilipp Pfaffの三人が,近世歯科医学を開拓した三大偉人とされています.
現代のデジタル社会では,出版業者へpdfファイルを送ると3-4日後には冊子が完成するが,何百年も以前,こうした出版による新しい知識や考え方の伝達には,大変な時間と労力を要し,何十年や何百年もかかった.例えば,フォシャールの書籍は,1719年から1723年に書き上げ,校正を続け,1728年に刊行されヨーロッパ全域で受け入れられた.しかし,当時は知識を共有するという慣習がなく,同業者からは廃業したといううわさが流されたとのことである.5年後にドイツ語に翻訳されたが,英語に翻訳されるまでに200年後かかった.
矯正歯科學の目的は時と共に変化し,その始まり,The irregularity the teethの修正は,見た目を良くすることから始まったようである.「美」.見た目を治すという目的で,指で押すという方法からはじまり,ここにはまだ書くことのできない多くの先人の知恵と努力とひらめきによって,様々な装置が考案され,しだいに複雑化し,咬合関係や顎発育も考慮され,他の医療分野とも連携する分野となってきたようである.
この変化のスピードはしだいに速くなり,次の世代の材料も応用され,装置は逆に簡便化されつつある.矯正歯科は他の専門分野(歯周病,補綴,歯周形成,顎変形症など)と密接に連携した治療計画の一部となり,美しい容貌や咬み合わせだけでなく,歯の寿命を延ばし,長期にわたる治療結果の安定性,そしてこれは患者の人生の安定性(健康寿命)にも影響する目的が求められている.
― フランス
山氏による日本語版では,「矯正」という日本語が使用されていますが,原文ではdérangement des dents歯の乱れ,mal arranges 位置異常,les dresser正す,といったフランス語で記述されており,Orthodontiaの用語はまだ用いられていません.
そして,Fauchardの支持者であったEtienne Bourdet (エチエンヌブルーデ1722-1789)は,1757年の書籍”Recherches et observations sur toutes les parties de l’art du dentiste.”の第二巻の中でFauchardのプレートを改良し,右図のような弯曲した装置を考案しています.叢生の改善のための「便宜抜歯」とし
1741年には,Orthopedicsという用語が,Nicolas Andry de Bois Regard(1658-1672)による整形外科の書籍 ”L’orthopedie”で始めて用いられました.よく整形外科の教科書にある右図はこの書籍のものです.1743年に,Robert Bunon(1707-1749)は,歯と顎骨の不調和について記述していますが,Orthodonticsという用語はまだ用いられていません.まだ100年先にならないと使用されなかったようです.
― ドイツ
― 英国
Orthodonticsという用語が用いられたのはこの少し後の1839年のことです.Jacques Lefoulonによって始めて,ギリシャ語の「まっすぐ」を意味する ”orthos” と,「歯」を意味する ”odontos” から創られました.
米国における近代矯正歯科学
しかし,現代のデジタル社会では,一次資料である原書へのアクセスが容易に可能となり,こうした医史に関する調査研究においても,一次文献を読むことが最重要課題であることは,「医学の歴史」を書かれた酒井氏も述べられています.上記のリンク先より原著へアクセスし,一般の歯の不正 irregurality も含め,病因,疫学,治療法や症例も交えて記述された21章の内容を見てもらいたい.
この時代のもう一人の人物,Angleと抜歯論について議論したCalvin Suveril Case (1847-1923)については 下記に文献を示しますのでご参照ください.
その後,とてもたくさんの先人の功績によって,エッジワイズシステムは,ワイヤーやブラケットという装置の特性や形状の改良といった持続的イノベーションが加えられ現在に至っています.
創立 学校名
1839
ボルチモア歯科医学校(現メリーランド大学)
Orthodontics in 3 millennia.
by Norman Wah
American Journal of
Orthodontics and Dentofacial Orthopedics
Chapter 1:
Antiquity to the mid-19th century
Vol. 127 Issue
2p255–259 Published in issue: February 2005
Chapter 2: Entering the modern era
Chapter 3: The
professionalization of orthodontics
Vol. 127 Issue
6, p749-753, JUNE 01, 2005
Chapter 4: The
professionalization of orthodontics (concluded)
Vol. 128 Issue 2
p252–257 Published in issue: August 2005
Chapter 5: The
American Board of Orthodontics, Albert Ketcham, and early 20th-century
appliances
Vol. 128 Issue 4
p535–540Published in issue: October 2005
Chapter 6: More
early 20th-century appliances and the extraction controversy
Vol. 128 Issue 6
p795–800Published in issue: December 2005
Vol. 129 Issue 2
p293–298Published in issue: February 2006
Chapter 8: The
cephalometer takes its place in the orthodontic armamentarium
Vol. 129 Issue 4
p574–580 Published in issue: April 2006
Chapter 9:
Functional appliances to midcentury
Vol. 129 Issue 6
p829–833 Published in issue: June 2006
Chapter 10:
Midcentury retrospect
Vol. 130 Issue 2
p253–256 Published in issue: August 2006
Chapter 11: The
golden age of orthodontics
Vol. 130 Issue 4
p549–553 Published in issue: October 2006
Chapter 12: Two
controversies: Early treatment and occlusion
Vol. 130 Issue 6
p799–804 Published in issue: December 2006
Chapter 13: The
temporomandibular joint and orthognathic surgery
Vol. 131 Issue 2
p263–267 Published in issue: February 2007
Chapter 14:
Surgical adjuncts to orthodontics
Vol. 131 Issue 4
p561–565 Published in issue: April 2007
Chapter 15:
Skeletal anchorage
Vol. 134 Issue 5
p707–710 Published in issue: November 2008
Chapter 16: Late
20th-century fixed appliances
Vol. 134 Issue 6
p827–830 Published in issue: December 2008